浅川マキ
浅川マキが死んだ。
心筋梗塞だったそうで、以前、眠ったまま死にたいと言っていたので願いがかなったのかもしれない。
忌野清志郎も加藤和彦も死んでしまったが、浅川マキの死は青春の闇のようなものを突然、記憶の底から引き出したようだ。
死亡欄では「アングラ歌手」などと紹介されていたが、むしろ日本のブルース歌手だったような気がする。
久しぶりに夜中CDにを引っ張り出して聞いてみたら、当時、あてどなく新宿をさまよい、しょんべん横丁で薄い鯨カツを肴に飲めない酒を飲んで、「上高地」みたいな24時間喫茶で夜を明かしてまた日常に帰って行った青春の彷徨がよみがえってきた。
聞いていくうちに、夜中ということもあって、久しく忘れていた遠い昔の青春の蹉跌と甘酸っぱい寂寥感が胸にこみ上げてきた。
このレコードは「MAKIⅠ 浅川マキの世界」「MAKIⅡ」「MAKILive」です。この三枚のレコードは繰り返し聴きましたが、特に真ん中の「Maki Live」はお気に入りでした。
1971年の大晦日の紀伊国屋ホールのライブでつのだひろなども参加しています。今はレコードプレーヤーがないので確認できませんが、床を転がるコーラビン(たぶん)の音も入っていて、大晦日のライブの雰囲気もよく出ていますが、結局CDでは復刻されませんでした。
そしてこのレコードを聞くうちに「さよならだけが人生だ」を知りました。
寺山修司の詞の中で何度も出てきます。
・・・
さよならだけが 人生よ
せめて お酒を飲みましょう
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さよならだけが 人生よ
せめて 歌など歌いましょう(寺山修司「13日の金曜日のブルース」)
・・・
・・・
さよならだけの人生も
しみじみ 奴が懐かしい(寺山修司「前科者のクリスマス」)
有名なのは寺山修司の「幸福が遠すぎたら」で、これは彼のテーマのひとつなのでしょう。
さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに 咲いてる野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼けと ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが人生ならば 人生なんか いりません
もちろんこれは井伏鱒二「厄除け詩集」に収められた唐代の詩人「于 武陵(う ぶりょう)」の「勧酒」の訳詩の一節「さよならだけが人生だ」からきているといわれています。先日のNHKBSの「新・漢詩紀行」でも取り上げられていましたが、日本ではむしろこの名訳によって有名になったようです。
勧君金屈巵 君に勧む金の杯(金屈巵) この杯を受けてくれ
満酌不須辞 満酌辞するをもちいず どうぞなみなみ注がしておくれ
花發多風雨 花ひらけば風雨多く 花に嵐のたとえもあるぞ
人生足別離 人生別離足る さよならだけが人生だ(井伏鱒二)
さよなら 夕焼けがきれいだよ
泣くなんて お前らしくもないぜ(浅川マキ「ちっちゃなときから」)
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